イスラーム > Ja > ハディース > 法学と法源学 > 彼は各礼拝の後、タスリーム(礼拝の締めの動作)する際に、こう言ったものだった:「ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ・ラー・シャリーカラフ。ラフルムルク、ワ・ラフルハムドゥ、ワ…
真正27 10月 2026 14h02 更新
📖 1分で読めるعَنْ أَبِي الزُّبَيْرِ قَالَ: كَانَ ابْنُ الزُّبَيْرِ يَقُولُ فِي دُبُرِ كُلِّ صَلَاةٍ حِينَ يُسَلِّمُ: «لَا إِلَهَ إِلَّا اللهُ وَحْدَهُ لَا شَرِيكَ لَهُ، لَهُ الْمُلْكُ وَلَهُ الْحَمْدُ وَهُوَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ، لَا حَوْلَ وَلَا قُوَّةَ إِلَّا بِاللهِ، لَا إِلَهَ إِلَّا اللهُ، وَلَا نَعْبُدُ إِلَّا إِيَّاهُ، لَهُ النِّعْمَةُ وَلَهُ الْفَضْلُ وَلَهُ الثَّنَاءُ الْحَسَنُ، لَا إِلَهَ إِلَّا اللهُ مُخْلِصِينَ لَهُ الدِّينَ وَلَوْ كَرِهَ الْكَافِرُونَ» وَقَالَ: «كَانَ رَسُولُ اللهِ صَلَّى اللهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ يُهَلِّلُ بِهِنَّ دُبُرَ كُلِّ صَلَاةٍ».
アブドッラー・ブン・アッ=ズバイル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は義務の礼拝の後、タスリーム(礼拝の締めの動作)する際に、この偉大なズィクル(念唱)を唱えたものだった。その中には、至高のアッラーのみを真の崇拝の対象とすることの確証、そこにおいて共同者が存在することの否定、形而下的および形而上的主権はアッラーのみに属することの確証、いかなる時でもアッラーには讃美が相応しいこと、アッラーの絶対的力の確証など、多くの崇高な意味が含まれている。また、その中には僕の主に対する自らの無力さ、至らなさ、いかなる権能や威力も有してはいないことの自認も含まれる他、アッラーによる以外には自分自身に悪を阻んだり、善を引き寄せたりするいかなる力も備わってはいないという承認も含まれている。また、この祝福にあふれたズィクルには、恩恵をそれを授ける主に結びつけ、完全さはアッラーにこそ属し、その本質と属性と主性と恩恵については、善と美をもってアッラーを称えるべきであることが示されている。ズィクルの最後は、「ラー・イラーハ・イッラッラーフ(アッラー以外に真に崇拝すべきものはなし)」というタウヒード(唯一性信仰)の言葉で締めくくられ、たとえ全ての不信仰者たちがそれを嫌ったとしても、アッラーの崇拝において誠意を尽くすことに注意を促している。
それからアブドッラー・ブン・アッ=ズバイル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の礼拝のタスリーム後における賛美の言葉が、この形式であったことに言及している。彼は共にいる者たちに教授すべく、声を上げてこのズィクルを唱えていたのである。